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「渋い趣味っスね」
 少し退いた様子で、黄瀬は赤司の手元を見遣った。
 年季のはいった将棋盤と棋譜。詰め将棋も簡単に解けるものが多すぎると嘆いていた彼は、このところは名人と呼ばれる棋士達の過去の手を並べることに耽っている。
一体それの何が面白いのか、黄瀬にはまったく理解出来ないが。
「赤司っちも、緑間っちも……」
「正直に言っていいよ、涼太」
 回り持った黄瀬の物言いを笑って、赤司は盤面に駒を一手指し、顔を上げた。
「オヤジ臭いって。そう言いたいんだろ?」
「そんなことは……」
 ないとはどうにも否定出来ず、黄瀬は視線を宙に泳がせる。
 突っかかりたいわけではないのだが、赤司の趣味はやはりどうにも黄瀬にはわからない。しかし自分に理解が出来ないものが、緑間ならば盤を挟んで彼と楽しげに向かい合うことが出来るのが何やら少々口惜しい、正直に言えば腹立たしいようにすら思えていた。
「涼太に覚える気があるなら、将棋でも碁でもチェスでも教えてあげるよ」
「いや。……オレはいっす」
 赤司の申し出には、黄瀬はしばし考えて首を振った。
 赤司や緑間が好むようなものを自分がそう容易く飲み込めるわけはないし、そもそも興味がなければあまり長くは続かない。自分が途中で飽いてしまっては、赤司に呆れられるだけだ。そうなる結末が見えるとすっかり尻込みしてしまう。
「そう」
 黄瀬の答えに、赤司は小さく息を吐いた。
「こっちへおいで、涼太」
「え、いや……」
 彼が棋譜を片手にしつつ己を手招くのに、黄瀬は惑って頭を振る。
「おいで」
 二度目は先程よりも強い口調で、赤司は黄瀬を呼びつけた。
「……」
 その言いつけに逆らえるわけもなく、黄瀬はすごすごと赤司の傍らに足を向ける。
「そこに座って」
 彼は、将棋盤をおいた机を挟んだ向かいの席を黄瀬に指し示した。その声に従って、黄瀬は大人しく椅子に腰を降ろす。
「涼太、少しだけ手ほどきをしてあげるよ。僕の相手役になってもらえるかい」
「え! いや、無理っスよ。オレ、将棋のことなんか全然わかんないし……」
「大丈夫。僕が指示するとおりに、教える駒を置いていくだけでいいんだ。それに、まずは分かりやすいように基本を教えよう。将棋は相手の王を奪う為に、自分の兵隊で相手の国に攻め込んで行くゲームだ。まずはこう考えてごらん、涼太」
 赤司は一旦言葉を切り、黄瀬の目前に並べられた王将の駒を指さした。
「いいかい。これは涼太だ」
「オレ?」
「そう。涼太が王様だ。僕は隣の国の王で、涼太が欲しくて、おまえの国の兵士達を倒していく。涼太の兵士は、大輝? それともテツヤかな。でも、どんなに相手が強くても、僕が勝つ。ほら、この駒を持って、涼太」
「え、あ、あの」
 惑いながらも黄瀬は赤司に示された駒を指に挟んで持ち上げた。
 赤司の指示には従わなくてはならない。そんな帝光中バスケ部の掟は、黄瀬の身体にすっかりと染みついてしまっている。
「さあ、やろうか。まずはここだ」
「……ここっスね」
 教えられた場所に黄瀬が一手を指すと、駒はパチンと小気味いい音を立てた。
「いい指し方だ。その持ち方は、初心者じゃなかなか出来ないんだ」
「赤司っちの駒の持ち方、真似しただけっス」
「そう」
 その言に、彼はくっと喉を鳴らす。
「飲み込みがいいな、涼太は。おまえはそういうところがいい」
「そうっスか……」
「そうだよ」
 落ち着かない素振りで黄瀬が微かに目を伏せるのに、赤司は愉しげに口元だけで笑った。






「赤司っち、ずるいっス」
「だから、はじめから言ってただろう。僕が勝つって」
 黄瀬が拗ねた様子で頬を膨らませるのを、赤司は呆れたように見遣った。
「だって! それはちゃんと勝負するって、宣戦布告だって思ってて!」
「仕方ないだろう。僕の側が勝つ棋譜なんだ。実際に駒を動かすことでどういう攻め方をするのか研究するんだよ」
「そんな話し、聞いてないっス」
「そもそも、僕が指す場所を指示してるんだから、勝ち負けは関係ないだろう」
「それはそうっスけど……でもなんか、悔しいっつーか」
「負けず嫌いだな、涼太は」
 黄瀬の言い分に、赤司は面白がる様子で目を細めた。
「でも、そういうところがいい」
 賞賛を口にして、彼は軽く首を傾げ、合い向かう黄瀬の顔を覗き込む。
「……なんで、こっち見るんスか」
「なんでだろうね」
「あんま、見ないで欲しいっス」
「どうして?」
「そんなの……」
 赤司からの問いかけに、黄瀬は喉を詰まらせた。
「……」
 彼の惑う様を見つつ、赤司は机の上に置かれた黄瀬の片手にそっと自分の手を重ねる。
「赤司っち?」
 その感触に、黄瀬は顔を上げた。
「ねえ、涼太。勝負は僕の勝ちだ。だから、涼太は僕のものになったってことだな」 「ちょっと待って欲しいっス! それ、おかしいっしょ? 赤司っちが勝つことが決まってたなら、それは納得いかないスよ」
「じゃあ、次は僕とちゃんと勝負しようか。将棋の基本は飲み込めただろ? 大丈夫。ちゃんと涼太にはハンデをあげるから」
「なら、受けて立つっスよ! ハンデはありがたく貰っとくんで。赤司っち、後悔しないといっスね」
「ああ。でも、僕に簡単に勝てるなんて、思わないことだな」
 黄瀬の負けん気を笑って、赤司は彼の手をそっと撫でる。
「次の勝負に負けたら、おまえは僕のものだよ」
「……それ、話が飛びすぎじゃないスか」
「いいや。将棋はそういうゲームだって、教えただろ。相手の王を奪いに行くんだって」
「そうっスけど……」
 赤司の指先が己の手の甲を軽くくすぐるのに、黄瀬は居心地悪そうにして、彼から目を反らした。
「涼太、将棋は面白いだろう?」
 そんな黄瀬の耳元に、赤司はそっと囁きかける。
「でも、いいかい。次も僕が勝つよ」
「……赤司っちは、ずるいっス」
 途端、黄瀬の目許に仄かな朱の色が刷ける。
「そうかな?」
 その色を見て取って、赤司は楽しそうに笑いを零した。  



(2012.7.12 pixiv初出)