if続・おかえりなさいの風景



<おかえりなさい>



 エントランスでインターフォンを鳴らすのは、赤司なりの気遣いだ。地方に泊まりがけで出かけた後には、彼にはいつも帰宅時に呼び鈴を押す。だから、黄瀬がソワソワとするのは、赤司がマンションの一階からエレベーターで上までやってくる間だけでいい。
 鍵を回す音に気付いて、黄瀬は玄関に足を向けた。
「赤司っち、おかえりなさいっス」
「ただいま、涼太」
 扉の合間から笑顔を向けると、赤司は軽く目を細め、黄瀬の声に頷く。強行軍で帰宅を早めた為だろう。赤司の顔にはいつになく疲労が浮いていた。
「荷物こっち貰うっス」
 旅行用のボストンバッグと貴重品を入れた手荷物用のバッグ、そして土産物が入っているとおぼしき紙袋。赤司が手にした三つの荷物のうち、一番大きな旅行用鞄を黄瀬は彼の手から先に受け取った。
「疲れたっしょ。明日はやっぱ、飛行機怪しいらしいっスよ。そうなると新幹線もめっちゃ混むから、今日帰ってきて正解っスよ」
 先に立って、部屋の中に荷物を運びつつ、黄瀬は彼を気遣いながら出来るだけ明るい声色で話しかけた。
「そうだな……」
 その声に、赤司は小さく頷く。
 地方に行く場合には、棋士を招いた相手方への気遣いを行わなくてはならず、主催者や他の来賓、地方の有力者と呼ばれる類いの人々に挨拶をしたり、歓迎会や食事会と冠された無駄な接待に付き合わなくてはならず、対局以外の仕事も多い。
 それらの面倒を全てこなした後に、すぐに飛行機に飛び乗ったのでは、あまり休息も取れていないだろう。
(今日はもう、すぐ寝るかな、赤司っち)
「そうだ。荷物から、洗い物だけ出しちゃっていいスか」
「……涼太。今日はあれやらないのか」
 黄瀬が尋ねかけると、赤司はその声に別の問いかけを返した。
「あれ?」
「たまにやるだろう? こういう時に」
 そう言って彼は、目を細めて笑う。
(あ!)
 その眼差しに微かに悪戯めいた色が浮かぶのに、彼が何を言おうとしているかをすぐさま察知して、黄瀬はぱっと顔を輝かせた。
「あれっスね!」
 赤司のこんなところが好きだ。
 嬉しくなって軽く背を丸め、黄瀬は赤司の顔を覗き込む。
「おかえりなさい、赤司っち。お風呂? ごはん? それともオレにする?」
「うーん」
 黄瀬の言葉に、赤司は少々わざとらしく、一旦考える表情を見せた。 
 完璧に出迎えの支度を整えられた時にするこの冗談は、今日は食事の支度が出来ていないので、黄瀬としては彼に言うつもりはなかった。
 実際、言ったとしてもあっさりとスルーされることもある。けれど今日の赤司は、この言葉遊びに付き合ってもいい気分なのだろう。
「まず、風呂」
「はいっス」
「それから寝て、起きたら涼太。それからメシがいいな」
 行動順に一つ一つを数え上げながら、赤司はそっと黄瀬の頬に触れた。 「……」
 そして彼は、薄く開いた黄瀬の唇に、触れるだけに柔らかいキスを落とす。
「……赤司っち、オレは後じゃないの?」
「つまみ食い」
 黄瀬が思わず尋ねかけると、赤司はニコッと笑って答えた。
「あー……もう!」
 これは反則だ。
 胸の奥底から込み上げる衝動に居ても立ってもいられなくなり、黄瀬は両手で顔を覆ってその場にしゃがみ込む。
 そんな彼の横で、赤司は何事もないような様子でスーツの上着を脱いだ。
「どうした涼太」
「もう……やられたっス。そゆとこ大好き」
「そうか。よかった」
 黄瀬の言葉を笑いながら、赤司は脱いだ上着を当然のように黄瀬に渡してくる。 (もう……)
 澄ました顔で言ってはいるが、しかし今の赤司は少々得意げだ。
 側に居るうちに、段々とそういうところが分かるようになってきて、より好きになった。
 中学時代の彼と初めて会った時の感想は、「意外と小さいな」だった。
 バスケ部の主将であるならば自分をもしのぐどんな大男がやっているのだろうと思っていたのだ。実際、帝光中バスケ部のレギュラーには、黒子テツヤを除けば、他は並外れて長身の者ばかりが揃っていた。
 けれど、赤司のプレイを見た後には、すぐにそれは「格好いい」にすり替わった。  頭が良くて、バスケが上手くて、何でも見抜く目を持っていて、強い。そしてキャプテンとしては厳しく、少々威圧的ですらある。けれど赤司のカリスマにならば、皆が従うのも当然であるとすぐに理解出来た。だから、憧れた。
 そんな彼は時々ひどく優しいのだと気が付いて、自分にとっては側に居るのが楽な相手なのだと分かって、気紛れのように甘やかして貰えるのがすごく嬉しくて、気になる人になって、いつの間にかに好きな人になった。
 女の子としか出来ないかと思っていたセックスも、別に彼とだって出来るのだと分かって、そうなったらもう一緒にいることに問題はないと思った。
 長く付き合うようになってからは、格好いいだけではなく、可愛いと感じる部分も沢山見つけている。今も自分を喜ばせて、こっそりとご満悦になっているところなど堪らなく可愛らしい。
 好きだ。大好きだ。
「オレのツボの押さえ方上手すぎっすよ。風呂は沸いてるっス。じゃあ、着替え出しとくんで」
「ああ。ありがとう」
 黄瀬に礼を言って、赤司はいつもよりも少々おぼつかない足取りで風呂場へと向かった。
 赤司はこういう時に意地を張らない。黄瀬が世話を焼くなら、それを彼は普通に受ける。
(こういうトコも好き)
 思えば、昔から何か輝くようなものを持つ人が好きだった。それは中学時代の友人達で、キセキの世代と呼ばれる面々は全員が当てはまりはするのだが。
 大事なもの、目指すもの、極めたいもの。
 そんな輝きを抱えて、目指すものを取りに行く為に、努力をする。赤司は天賦の才を持ちながらも、精進を怠らず、それを隠さない。そんな彼を支えたいという気持ちは、側に居たら自然に湧き出るようになった。
「赤司っち。着替え、タオルの横に置いとくっスよ」
 彼の下着とパジャマをタオルの横に置いて、脱衣所から声をかける。すりガラスの向こうからは「ああ」とくぐもった声が返った。
 今は大丈夫そうだが、あまり長風呂になったら様子を見にこなくてはならない。赤司は疲れ切っていると、たまに湯船に浸かったまま、眠ってしまうことがあるのだ。 (じゃ、オレは明日のメシの仕込みっと)
 今日の試食会では、料理は全て、明日に赤司に出すつもりのものを作っていたので、材料は基本的にまとめ買いをしてある。黒子たちにも出したものの中には、冷やしておいた方がよいので、明日の分も既に作ってあるものもあるし、手順がわかっている分、先程よりももっと上手く作れるだろう。
「腕が鳴るっスよ」
 黄瀬はヒュゥと口笛を一つ吹いて、台所へと足を向けた。
 



「なにをしにきた、大輝」
 赤司は客人の一人、来訪を言い出したという彼の姿を不機嫌そうに見遣った。
「肉食いに」
 一言でそれに答えた青峰は、緑間が入れたコーヒーをズズッと音を立てて啜る。  キセキの世代の彼らは、学生時代に赤司と黄瀬が同居していた部屋に度々集合していた為に、彼らの部屋で勝手をすることには慣れていた。
「邪魔だ」
「そう言うなって。おまえも黄瀬もいて、日曜だからわざわざ来たんだしよ」
「だからこそ、おまえらがこなければ、オレと涼太はベッドから出るつもりはなかったんだがな」
「……」
「赤司君、緑間君をからかうのはやめてあげてください」
 赤司の一言に、緑間が引きつった表情を浮かべるのを見遣って、黒子は小さく息を吐いた。
「緑ちん、どしたのー」
 動きをピタリと止めた緑間の姿を、ちょうど台所の方面からやって来た紫原は不思議そうに覗き込んだ。
「どうした、敦。涼太の手伝いをしてるんじゃなかったのか?」
「緑間っちか黒子っち、紫っちとチェンジお願いするっス」
 赤司が彼に尋ねるのとほぼ同時に、紫原の後から黄瀬も続いて姿を見せる。
「生クリーム味見したら、黄瀬ちんに怒られちゃったからー」
「レベルが味見じゃないんスよ、紫っちの一口って。作り直さないとなんス」
「じゃあ、僕が」
 二人の発言に事情を察し、その場は黒子がすかさず立ち上がる。
「そうだな。今の真太郎は、生クリームにも砂糖でなく塩を入れそうだ」
 そんな彼の判断に、赤司は楽しげに笑いを零した。



「すんませんっス、黒子っち。電動ミキサーあるんで、あんま疲れないはずっスから」
「いいですよ。押し掛けでごちそうになりに来た身ですから」
「ところで赤司っちは、また緑間っちをいじめてたんスか?」
「はい」
 二人の同居を一番に知ったのは緑間で、決定打を打たれた時にもっとも動揺していたのも緑間だ。典型的な優等生で、赤司を自分と高めあう親友として考えていた彼は、その赤司が男と付き合うのかということがあまりにも疑問に思えるらしい。しかも、その相手がなぜ黄瀬なのかと考えると、よりショックは深いようだ。彼は二人の間に性的なものがあるという事実に未だに慣れず、話題がそのことに及ぶと精神的にすっかりと引きこもってしまう。
 それを面白がって、赤司は黄瀬の関係を匂わす一言を緑間の前でわざと口にするきらいがあった。
「緑間っちが固まるのが面白いらしいんスよね」
「実際、面白いですしね。滅多に見られないという意味で」
「しかも緑間っちが高尾君に、なんかいちいちメールで相談しちゃうのが、赤司っちのツボみたいで」
「よけいに面白がらせてるんですね」
 赤司はかなり緑間が好きだ。あの大きい図体の割に繊細で、生真面目で几帳面で器用だか不器用だかわからない男は、赤司からは大変に親愛の情を抱かれている。
 赤司のこの所業は、緑間に対しての愛故ではある。もっともそれは、緑間自身にとってはとんでもない試練に他ならないが。
「高尾君にはどんなメール送ってるんでしょうね」
 緑間の高校時代からの友人は、バスケ部で試合をしたことがあるために黒子も黄瀬もその存在は知っている。高尾は見るからに要領の良さそうな男だった。
「さあ?」
 黒子のその言葉に、黄瀬は首を捻った。そもそも緑間が赤司以外の誰かに自ら頻繁にメールを送ること自体、意外すぎてどうにも想像し難いのだ。元々緑間は友人と認識出来る相手が少ない。実際、彼と好んで友人になる者は少ないだろうと傍から見ていても思える人柄でもある。
「よく分かんないけど、緑間っちもいい友達出来てよかったっスよね」
「そうですね」
 黄瀬の感想に、黒子も深く頷いた。




「紫原、菓子を食いつくしてはならぬのだよ」  持参した菓子折の中身を紫原が食い荒らしていくのに、緑間は眉を顰めた。
「えー。だめ?」
「それは手土産だから、家主の分まで食ってはいけないものなのだよ」
「じゃあ、これが赤ちんのぶんで、これが黄瀬ちんの分。これでいい?」
 緑間の言葉に考える表情を浮かべた紫原は、箱の中から菓子を二つとりわけて、伺うように赤司の顔を覗きこむ。
「ああ、いいよ」
「……よくねーだろ」
 赤司の返答に、青峰はだらしなくソファの背に預けていた身を起こし、箱から菓子を二つ、自分と黒子の分のそれを掴み取った。
「残り三個……」
「……後は食べていいのだよ」
 切なげに紫原が呟くのに、緑間は溜め息交じりで彼に許可を出す。
「敦、一個、真太郎にも分けてあげて」
「はーい」
 そんな彼の態度を細め、赤司は箱からもう一つ菓子をとり、それを緑間の前にそっと置いた。
「で、今日は本当はなにをしにきたのかな」
 そして赤司は改めて、居並ぶ面々、主に緑間と青峰に問いかけを投げ掛ける。
「何って、メシ食いに」
「別に話をしに来ただけだよ」
「そう? わざわざみんなそろって、理由はあるんだろ」
 二人から返った答えに、赤司は軽く首を傾げた。
 そんな彼の態度に、緑間は仕方ないとでも言いたげに小さく息を吐く。
「……この前、c級1組に上がっていただろう」
「ああ」
 緑間の言に、赤司は肯定を示して頷いた。
 赤司が自らは口にしないそれを彼が知っているのは、インターネットなどで情報を細やかに見ているのだろう。棋界という勝負の世界に身を置いた友人の動向を、緑間は常に気にかけ、案じているに違いない。
「それをみんなに教えてみてもいいと思ったのだよ」
「なあ、それってすげえのか?」
「去年プロになった者がトントン拍子で行けるところでは本来ないのだよ」
「やるじゃん」
 緑間の説明に、青峰はひゅうっと口笛を吹いた。
「じゃ、祝いだな、祝い」
「気が早いな。僕はまだ一つ駒を進めただけだよ」
「それでも、だ」
 謙遜めいた赤司の言葉に、緑間は強く首を振る。
「ああ、ありがとう」
 そんな友人の姿を、赤司は口元だけで笑みながら、嬉しそうに見遣った。


「紫原くん、また手伝ってもらえませんか?」
 パタパタとスリッパの足音がして、台所の方面からひょいと黒子が姿を見せる。
「うん。いいよー」
「オレも行こう」
 その呼びかけに、紫原だけではなく、緑間も席を立った。
「じゃ、たまにはオレもなんかやるかな」
 そんな彼らの動向を見遣り、珍しくも青峰も腰を上げる。
「皆で行っても仕方ないだろ」
 更に続けて、赤司もソファから立ち上がる。
「って、おまえが主役なんだから座っとけよ」
「こんなに大人数じゃ、指揮官が必要だろう?」
「まあな」
 彼らは笑いながら、今は黄瀬が一人で奮闘しているであろう台所へと足を向けた。





<同居をはじめました認識日>




「あ、オレ、この後仕事なんスよ」
 断りを入れて、黄瀬は立ち上がった。
 大学入学を機にして、赤司と共に暮らしはじめた部屋に、中学時代の友人達が揃って遊びにやって来たのは小一時間ほど前のことだ。
 つい先日、赤司が招いて、緑間だけはこの部屋にやって来たことがある。なので同居の件は緑間伝いに、他の皆にも伝わったのだろう。しかも伝えらえた勢いで、そのまま遊びにこようという算段がつけられたフシもある。
 そのためか情報元となった緑間は一人、先程から少々居心地悪そうにもぞもぞとしていた。
(あーあ……)
 そして正直、今は黄瀬も少々居心地が悪い。
 緑間がやって来た時には、あらかじめ赤司から彼を招いたと言われていたし、彼一人ならば落ち着いて話も出来た。
 けれど、人数が増えてくると話は別だ。
 赤司と同居は、友達同士のルームシェアではなく、恋人との同棲である。
 もっとも元々友人であることと、互いの気質からして、同居したといっても常に恋人らしくベタベタとひっついているわけではないが。しかし、まだ二人の関係を彼らに明らかにしていない今の段階では、些細なことからそういった、自分たちが付き合っているという色が見えてしまうのではないかということが気にかかる。
 そもそも長年の友人である彼らに、この関係をいつ、どうやって伝えたらいいものなのか。それは中々に悩ましい問題だった。
(ま、いいか。今日は、後は赤司っちに任せれば)
 急な来訪だと、黄瀬の場合はこうして先に予定が入っている事が多い。このところは仕事も増えているので、余計にだ。
「みんな、次来る時は先に予定連絡して欲しいっス」
「ああ、すまない」
 黄瀬の一言に、緑間は申し訳なさそうに口を開いた。
「あ、いや。遊びに来てもらうのは嬉しいからいいんスけど、こういう時、オレだけ仕事で家にいられないって寂しいっしょ。どうせなら、オレがオフの時に来て欲しいっス」
「そうですね」
 黄瀬からの申し入れには、黒子が了解したと頷く。この辺りは、黒子に任せておけば問題はないだろう。彼はキセキの世代と呼ばれた面々の中では、もっとも分別があり、常識的だ。
 彼が応じてくれたことにホッとしつつ、黄瀬は荷物を手にして皆に声をかけた。 「ああ。いってらっしゃい」
 しかし、皆から見送りの言葉が返ってきたことで、いつもとの違いにはたと気付く。
「あ!」
「どうした?」
「あ、いや、なんでも」
 微かな惑いを気にして赤司が尋ねてくるのに、黄瀬は何でもないと慌てて首を振った。
 実際は、何でもなくはない。このまま家を出ると、彼と同居をしはじめて以来の習慣がここで途絶えてしまうのだ。
 仕事に出る前には、いってらっしゃいのキスをする。それが今の二人の習慣だ。
「そうすると効率が上がるそうだから」と統計上の数字を持ちだして、赤司はいつも黄瀬にキスをしてくれていた。
(仕方ないよなあ……)
 出がけに彼にキスをしてもらう度になんだか幸せな気分になって、ああ、やっぱり自分は赤司が好きなのだとその度に感じて、実際にこのところは仕事もより順調にいっているように思えていた。なので寂しくはあるが、流石に人前だ。
「じゃ……」
「そうだ。涼太、忘れ物」
 後ろ髪を引かれつつも、そのまま部屋を去ろうとする黄瀬の背中に、不意に呼び止める声がかかる。
「え? なんスか?」
「ほら、いってらっしゃい」
「!」
 黄瀬が振り返ると、背後に寄って来ていた赤司はすかさず彼にキスをした。
 いつものように、ごく自然に。
(あ……)
 唇が重なった瞬間、皆が驚く顔をするのが赤司の肩越しに見えた。
 けれど、その顔をすぐに自分の意識から消す為に、黄瀬はそっと目をつぶる。
 どうしようとか、なんて言えばいいかとか面倒なことよりも、今はキスをしてもらえた嬉しさの方が先立つ。
「……いってきます、赤司っち」
「ああ」 
 黄瀬がもう一度声をかけると、赤司は軽く彼の頬を撫でて、優しく微笑んだ。



「おい……」
 背後から呟きが漏れたのは、黄瀬の姿が完全に扉の向こうに消えてからだ。
 家主の一人が仕事に行くのならば、と礼儀を持って見送りをしていた面々は、目の前で行われた行為にすっかりと固まりきっている。
「いま、普通にキスとかしてなかったか、アイツら」
「してましたね」
「緑ちーん。どしたの?」
「うわ、脂汗かいてんぞ、コイツ」
「大丈夫ですか、緑間君」
「……みんな」
 始めはヒソヒソと言葉を交わしていた彼らは、中の一人が完全放心していることに気付いて不意に騒ぎだす。そんな彼らに、赤司は黄瀬を見送った姿勢のまま、振り返らずに声をかけた。
「いってらっしゃいのキスをするのは仕事の効率が上がり、寿命が伸びるって統計は知ってるかい」
「はあ……」
「うちはそれを採用中なんだ。特に涼太が仕事の時には、僕が家にいる限り必ずこの習慣を実行している。……ところで今、涼太は仕事が増えて、学校、バスケ、仕事と大変に忙しい」
 己の言に曖昧な答えが返るのを受け止めながら、赤司は背後に立つ四人の姿をゆっくりと振り返った。
「だから、みんな」
 そして彼は、静かに笑う。
「涼太が心を落ち着けて様々に専念出来るよう、協力してくれるな?」
「……はい!」
 元主将の一見にこやかな、しかし何かを含むことがよく分かる笑顔を前にして、三人はびしりと背筋を正した。若干一名は駄菓子を齧りつつ、「うんー」と頷いたのみであったが。
「そうか。よかったよ。じゃあ、これからも今日みたいに気軽にうちに遊びにきてくれ。ただし、揃って来る時は涼太の予定を確認して」
「はい!」
「よし」
 皆に指示を出し終え、赤司は彼らの横をすり抜けて、そのまま自分が先程まで座っていた奥の席に戻ろうとする。
「……そうですね。黄瀬君、そういうところ寂しがりですしね」
「ああ、ハブになるとうるせーかんな、アイツ」
「わかった。……これからはちゃんと連絡を入れることにするのだよ」
「あ、緑ちんもどったー」
 そんな彼の背後で、少々気の抜けた様子の声がぱらぱらと零れる。
(まあ、大丈夫そうだな)
 所謂カミングアウト、二人の関係を彼らの知らせるのは、賭けだとは思った。
 いつでも勝負には勝つつもりで挑みはするが、しかし人の心ばかりは完全に思うままにはならない。だからどうなることかとは内心思うところもあったが、この調子ならば少なくとも黄瀬が悲しむようなことにはならないようだ。
「まあ、これからもよろしく頼む」
 自分の席に戻った赤司は、改めて皆の顔を満足そうに見回した。





<改めて尋ねられた>




「えーっと、格好いいじゃないスか、あの人」
 赤司のどこがいいのか。
 不意に尋ねかけられた問いに、黄瀬は首を捻った。
「そうか?」
「いや、赤司っち、格好いいじゃないスか。背も高いし」
「いや、別に、高くねえだろ」
「一般論っスー。オレやアンタみたいに、バカでかいのとは違うんスよ。大体、黒子っちよりは高いじゃないスか」
「おい、黄瀬。テツがおまえのこと殺すって目で見てんぞ」
「しんでください」
「ああ! すんません、黒子っち! 他意はないんス!」
「さっさとしんでください」
「すんませんっス! あの、オレも言いたいことはほんとは外見のことじゃないんス! 黒子っちもまじ格好いいっスよ!」
「……」
 慌ててフォローの言葉を口にする黄瀬を、黒子は猜疑心に溢れた眼差しでじっと見つめる。
「ああ、黒子っちー! 怒んないでー!」
「つか、じゃあ、さっさと言えよ」
 その眼差しに黄瀬が尚更慌てふためくのに、青峰は苛つく様子で彼の足を蹴った。 「いてっス、青峰っち! 蹴んないでくださいっスよ! つーか、赤司っちって頭いいし、周囲に目を配れるし、人あたりいいし、気遣いあるし」
「そうですね」
 気を取り直して黄瀬が並べ立てた赤司の美点に、先程の無礼はまあ許してやるといった様子で黒子は頷いた。
「そうっスよね! で、心構えっていうか、姿勢が格好いいじゃないスか、赤司っちって。帝光から洛山だし、ずっとトップにいるけど、あの人、驕って練習怠ったりしないんスよ。トップにい続けるためにしとくべきことをいつでもちゃんとやってるし、対戦相手の強さに、自分とこの方が強くても敬意を払うし」
「おい、テツ、なんで今オレのことチラッと見た」
「別に……」
「それに棋士になるって決めて、バスケやめたのも、これからは片手間じゃ出来ないからってことスよ。バスケやめんの勿体ねーってオレも思ったけど、でも赤司っちはずっと自分自身が戦っていきたい人なんだなーってわかったから、引き止められないし、むしろ少しでも助けになれるようにオレも応援しないとなって思って。それに赤司っち、今楽しそうなんスよ。毎日真剣勝負って感じらしくて、すげー大変そうだけど。でも強い相手とやり合うの楽しくて、負けるとすげえ悔しいけど、勝つと嬉しいって言ってて、そういうの見てるだけで、オレもう、まじで赤司っちのこと好きだなって……」
「妄想で赤くなんなよ、きめえな。女子か、てめえ」
 惚気と共に頬を染める黄瀬を、退いた様子で青峰が見遣る。
「青峰君……、緑間君も赤くなってます」
 そんな彼の横では、静かに黒子が緑間に退いていた。
「……」
「あ、あれ? 緑間っち、どうしたっスか?」
「……オレは今、初めておまえならいいのかもしれないと思ったのだよ」
「え? あの」
「おまえが、アイツのことをこんなに理解しているとは考えてもみなかったのだよ」
「アイツって赤司のことか?」
「緑間君は赤司君のお母さんですか」
「っていうか、オレ、今まで全く認められてなかったんスか?」
「……」
「って、頷かないで欲しいっス! ショックっスよー!」




〈緑間君と高尾君のメール〉

「オレの中にこんな気持ちが芽生えるなどと、どうしたらいいか戸惑っているのだよ。オレはあいつを認めてしまいそうな自分がいることに困惑しているのだよ」



「真ちゃんとりあえずもちつけwwwwマジ意味不\(^o^)/」
 



(2012.7.22 pixiv初出)