京都土産



【赤司と黄瀬】




 土産だといわれて差し出されたのは、小さな紙袋だった。
「阿闍梨餅?」
「知ってたか、涼太」
 中に入った菓子を取り出して、小袋に書かれた名称を呟く。
 すると赤司は、幾分意外そうに黄瀬の顔を見やった。
「あー。前に載った雑誌の記事で見たことあるんで」
(何考えてるのかバレバレっスよ、赤司っち)
 この菓子を知っていたというよりも、彼にとっては黄瀬にこの名称が読めたということの方が驚きだったのだろう。
「読み方も、うちの事務所の人に教えて貰ったんスよ。今度京都の撮影に行ったときに、土産に買ってきてくれるって話になって」
「なるほどな」
 そう言って頷く赤司の顔には、微かな笑いが刻まれている。少々人の悪いそれは、彼には相手の全てを見透かすようなところがある故のものだ。
「じゃあ、味ももう知ってるわけか」
「食べたことはないっス。なんか京都での撮影がまだないみたいで。だから……わざわざ、ありがとう」
「真太郎が好きなんだ。アイツに買うついでだから、気にしなくていい」
「そう。あのヒト、餡こ、好きっスよね」
 緑間へ渡すついでだと口にするのは、少し冷たいような物言いに見せかけた、赤司なりの気遣いだろう。
 それも分かる。京都から東京まで約三時間。互いの予定の合う週末に会いに来て、僅かの時間を共に過ごし、赤司はまた京都へと帰って行く。
 赤司と黄瀬のこうした仲は中学時代から何となく続いていた。
 しかし何となくと言ってしまえば、一見軽いようにも思えるが、それでも男同士だ。更には東京と京都に離れても、それでも互いを選んでいるのだから、軽いつきあいだとはとても言えぬだろう。
 片道三時間の恋愛関係を続けて、もう二年になる。
 距離があるのだから、そう頻繁に会えるわけでもない。それでもこの二年の間には、それなりの回数で、こうして共に時間を過ごしてきた。
 会う時は大体、赤司が東京までやって来ることが殆どだ。京都では彼は寮住まいをしているので、必然的にそうなる。
 黄瀬も長年モデルの仕事を続けているので、貯金は十分にあるし、それなりに旅慣れてもいるので京都に行くこと自体は苦にはならない。それでも赤司がこうして自宅にやって来てくれる方が心落ちつけたし、都合も良かった。
 赤司を家に招く時はいつも、親が旅行に出かける週末を狙って、彼に予定を告げている。未だ仲睦まじい両親に対しては、邪魔をするほど野暮ではない、仕事が入るかもしれないからと口にして黄瀬は留守居役を買って出ているが、実際に急の仕事の話がやって来たりはしないかということがいつも気がかりだった。
 そこそこ長く続けた仕事だ。これからも続けていくつもりでいるので、いざとなればそれなりのしがらみを受け入れなくてはならない。だから、出来れば都内にいた方がいい。そんな黄瀬の都合を、赤司は理解してくれていた。
 そんな黄瀬に、小さな土産をついでだと口にしつつ赤司が渡してくるのは、これ以上の重さを与えぬ為だろう。
 与えるばかりの重さが、相手を潰さぬようにと。
「赤司っちがわざわざ買ってくれるなんて、緑間っちも感動モンじゃないんスか?」
「そうか? 賞味期限が短いから、早めに片付けてくれ」
「じゃあ、早速一つ貰うっス」
 彼の言葉に頷きながら、黄瀬は手にした菓子の小袋を裂いた。
 中から出てくるのは、丸い形をした、幾分か平べったい饅頭めいたものだ。それはいかにも和菓子然とした風貌である。
(ま、オレはあんま、和菓子とか好きじゃないんだけど)
 袋の中に入った数が少ないのは、彼の言うとおりに賞味期限が短いからか、はたまた黄瀬の嗜好を理解しているか、それともあくまでも緑間に渡すついでの味見的なものとして、くれたという意味なのか。
 もしくは、その全てなのかもしれないが。
「……」
 小さな菓子を囓ると、餡の強い甘みが舌の上に落ちた。しかし、材料がいいのだろう。深みのある味わいは、嫌みなく、上品でもあった。
(あ、これ、わりと美味いかも)
「涼太」
 赤司の指が、不意に黄瀬の髪に触れる。
「なに?」
 その声に彼を振り返ると、赤司の顔は既に黄瀬の目前にあって、当然のように更にその距離を縮めてくる。
「ん……」
 薄く開いた唇の合間から彼の舌が入りこんでくる。口内に残った甘さを拭うよう
に、赤司は黄瀬の舌を吸い上げ、愛撫した。
「……なんスか、いきなり」
「味見。真太郎が好きなのは知ってるが、オレも食べたことはあまりないんだ」
「そんなこと言って。知ってるっスよ。赤司っち、あんまり甘いもの自体食べないって。……どういう風の吹き回し?」
「オマエの機嫌が悪くなったかと思って」
 黄瀬の問いかけに赤司は微かに笑い、チラリと視線を投げかけてくる。
(ああ……)
 彼のそんな図るような表情はずるくて、そして好きだと思う。
 相手を読むような、罠を仕掛けるような、いつのまにかに絡め取られているような。そんな感覚が好きだ。
「別に知ってるから平気っスよ」
「何を」
「だってこれ、緑間っちには宅配で送ってんでしょ」
 黄瀬が返した答えに、赤司の目が笑う。
「これ買って、配送の手配して、その足でオレのとこ来てるんだから、許すよ」
 ついでじゃない。そんなことは知ってる。分かっている。
 だから、手を伸ばして、彼の首に腕を絡める。
「しよう」
 笑って、わざと唇を薄く開いたまま、その顔を覗き込む。
 三時間の距離を会いに来る。気にならない程度の土産を手にして、何でもないことのように。
 それを何でもないことのように受け止めて、ただ、ねだる。
「したい」
 友達じゃない。恋人だから出来ること。わかりやすい形でねだって、こうするために来たのだと彼に思わせる。
「ああ……」
 赤司が微かに笑う気配があった。
 彼の密やかな息遣いに触れながら、早く気持ちよくなりたくて、黄瀬はそのまま目を閉じた。
 




【緑間と高尾】



 高尾和成は目敏い男だ。近くに知人がいれば、必ずその存在に気付く。
「あれって、黄瀬と赤司?」
 だからそんな彼が、姿形をそれなりに見知った彼らに目を留めたのは、必然であると言えるだろう。
「真ちゃんってば。聞いてんじゃん」
 隣に立つ友人が己の言に答えぬことに、 高尾は少々焦れた様子で緑間の腕を引いた。
「……そうだな」
 高尾が気付かぬわけがないとわかっていたが、緑間としては彼らのことには触れずにこの場を通りすぎるつもりだった。
 赤司征十郎と黄瀬涼太。彼らは中学時代のチームメイトで友人だ。特に赤司とは気が合い、高校進学を機に進路が分かれた今でもそれなりに便りを送りあっている。黄瀬の側とは腐れ縁のようなもので、互いに近県の強豪バスケ部を有した高校に通う以上、未だにそれなりに顔を合わせる機会はあった。もっとも、彼が属する海常高校とは、秀徳はまだ対戦したことはないが。来年のインターハイの組み合わせでぶつかることがなければ、もう公式戦で当たる機会はないだろう。
「声、かけなくていいの?」
 駅前の道を、連れ立った二人は何処かへと歩いていく。
 赤司の手には比較的小さめな、それでも旅支度だろうと伺える手荷物があった。彼の現在の住まいは京都であるのだから、夕刻のこの時刻に姿を見かけるならば、当然、泊まりがけでこちらに帰省したということなのだろう。
 しかし先日のウインターカップの後には、彼はそのまま実家に帰宅したのだと聞いてもいる。ならば、それからさほど間を置かない今日に、わざわざ帰省してくるのはいささか不自然であるとは思えたが。
(黄瀬と、か……)
 黄瀬は一見人当たりもよく、少なくとも帝光中時代のレギュラーの面々とは全員とそれなりにバランスよく付き合っていたが、しかし彼が特別に赤司と仲がいいかというとなかなかイメージが掴みにくい。
 けれど遠目に見る限り、時折肩を寄せて会話する、どうやら黄瀬が赤司の声に文字通りに耳を傾けているらしいその姿からは、彼らの親密さが充分に伺えた。
「いい」
「って、マジ? 滅多に会えない元チームメイトじゃん。で、赤司の方とは真ちゃん、仲いいんだよね」
「ああ。親しいな」
「そのトモダチが歩いてんだから、ちょっと声かけてみてさ」
「高尾」
 緑間は己をせっつく彼の名を呼びながら、羽織ったコートのポケットを探った。 「手を出せ」
「え?」
 驚きを見せたものの、しかし素直に差し出された高尾の掌の上に、緑間は今日の行きがけに受け取ったものを渡す。
「何コレ? 饅頭?」
「今日、赤司から送られてきた。有名な京都の菓子だ。オレがこれを好いていることを、赤司は知っているのだよ」
「ああ……真ちゃん、餡こ好きだもんな」
「奴からはこうして便りと共に、時折これが送られてくる。そういうことだ」
   それだけを告げて、緑間はくるりと踵を返し、目的としていた場所、駅近くに最近出来た大型書店へ向けて歩き出す。今日の予定を尋ねられ、参考書を見に行くのだと返したら、高尾は一緒に行くと言い張った。緑間がこうして休日に彼と連れだって歩いているのは、だからだ。
「ちょ! そういうことって」
「……別に今、声をかける必要などないのだよ」
 互いを認めて、時に気遣う。決して相手の負担にはならずに、それでも思いが伝わる程度に。赤司はそれが出来る相手だ。
 だからわざわざ声などかけずとも、便りがあって、恙なく日々を過ごしていることが分かっていればいい。
 実際、それだけの便りはあるのだから、ここで彼らに声かける理由など見当たらない。
「っていうか、これ! 貰っていいのかよ!」
 慌てて駆け寄ってきた高尾は、いつになく強い力で緑間の腕を掴んだ。
「……味見に一つ分けてやる。なかなかこちらでは手に入れにくい品だからな」
「あ、その為にわざわざポケットに入れてきてくれたんだ。いいとこあんね。じゃ、いっただきまーす」
 緑間の返答に高尾はぱっと相好を崩し、その場で小袋を裂いて、菓子を口に放り込んだ。
「おい、高尾。こんなところで……」
「ん。ウメえ。……あ、っていうかこれ、まじウマいじゃん。さっすが名物。違うね!」
「……」
「じゃ、真ちゃんからの賄賂に免じて、オレもさっき見かけたことは忘れましょうかね」
 程なくして菓子を咀嚼し終えた高尾は、意味深な言葉を口にしつつ、それをつまんだ指の腹を順にペロリと舐めた。
(全く……)
 高尾は機転が利く。機転を持って、上手く人を受け入れる。その思いも、細やかな秘密も。
 だからこそ、彼が側に居ることは苦にならないのだろう。
「何のことか分からん」
「そだね、オレも。でも、さっきのまた貰ったら、気が向いたらまた分けてよ」
「……気が向いたらな」
「え! まじ? ラッキー! 言ってみるもんだね。頼むわ、真ちゃん」
 軽快な笑いと共に、高尾はポンと緑間の背を叩く。
 その手に押し出されるように、緑間は書店に向かう足を僅かに速めた。
    



(2012.7.31 pixiv初出)