恋愛トーク



 桃っちが一人で屋上にいたオレのところにやってきたのは、昼休みのことだった。
 ちょっと前に、ツイッターに今日の昼飯の写真をアップしたら「今、屋上?」とリプられたので、桃っちがくるんだろうなって事は分かってた。
「ねえねえ。きーちゃん。タグって知ってる?」
「タグ?」
「ほら、こういうの」
「ああ、タグっスか」
 桃っちが見せてくれた携帯の画面に流れるTLに、彼女の言うタグの意味を理解して、オレは分かったと頷いた。
「そ。でね、聞いてよー」
 オレの言葉に頷いてから、桃っちは小さく唇を尖らせた。
「何スか?」
 オレと桃っちは、微妙に女子友っぽい仲だと言われている。
 それはバスケ部の中ではオレだけが日常的な話題で桃っちと共通点を見つけられるからだ。例えば服の流行についてやお肌の手入れについて、新しい化粧品のライン、好きな歌や時に恋バナめいたもの。そんな話題に単なるつきあいではなく、かなり高度なレベルでついていけるのは、正直オレぐらいしかいない。
 しかも案外桃っちと話が合うオレを、青峰っちなんて「きめー…」なんて言ったりするが、部内にいるのがそんな朴念仁ばかりだからこそ、桃っちは女子っぽいトークにちょっと飢えているらしい。だからなのか、桃っちはオレに割合と話しかけてきてくれるので、オレも彼女とはそれなりに会話を交わしている。
 それはオレにとって、桃っちが付き合いやすい相手だからでもある。
 桃っちは、黒子っちの事を好いている。
 幼なじみである青峰っちと同級生の黒子っち。
 初めのうちこそ一体どちらが彼女の本命だろうかと思っていたのだが、これは黒子っちの方だとオレが言い当てたところ、彼女は観念したのか割合と大胆に恋バナや黒子っちののろけ話をしてくるようになった。
 恋する女の子は可愛いし、オレとしては、相手がオレが本命じゃない子ならばそういう話も大歓迎だ。 
 そもそも桃っちはオレのことを完全に友達として見てくれているので、話もしやすくて、気楽でもある。
「これ! 見て!」
 そう言って桃っちが見せてくれたリプには「さつき、これやってみてよ(^_^)」なんて言葉と共にこんなタグが打ち込まれていた。


【#あと打って最初に出たのがあなたの結婚相手】

「あー……罠っスよねー…」
「そうなの! 罠でしかないのよ!」
 オレと桃っちは、ツイッターのフォロワー同士だ。
 ツイッターは桃っちが「やってみない?」とオレに勧めてくれた。
 オレは公式にはブログやツイッター、不特定の誰かに自分の言葉を発信するツールを使用することは事務所の指示で禁じられているけれど、ごく内輪のつきあいならばいいだろうと彼女の誘いに応じ、適当な名前のいい加減なプロフィールで鍵付きのアカウントを作って、出先で撮った写真をアップしたり、桃っちがツイートする話題にたまにちょっと絡んでみたりとかしている。主に使うのは写真のアップ、それも撮影に使ったちょっといいなと思う雑貨品とか、出先で遊んでくれたシェットランドシープドッグの顔アップとか、オレだとは絶対に特定できないものばかり。
 一応はつきあいで登録して、初めはちょっと面倒かなと思っていたけれど、人目を気にせずにちょっとしたツイートをしてみるのはなかなか面白いとわかり、今はそれなりにこのツールでの遊びを楽しんでもいる。
「だって、出るっスよねー…予測変換で、青峰っち」
「仕方ないじゃない! 幼なじみなんだから! 連絡メールにだって、青峰君の事書くなら、青峰君って書かないとなんだから!」
 最近、桃っちが頭を悩ませているのは、彼女の幼なじみである青峰大輝との仲だ。  正確には、周囲が彼女と青峰っちが「付き合ってるんでしょ」と決めつけてくることに、彼女は半ばキレかけている。以前から事あるごとにそういった疑いをかけられてきたのだそうだが、このところは更にそれがエスカレートしてきたらしい。
 それは何でも、自分の好きな男子に桃っちが気があると誤解したクラスメイトが「桃井さんは青峰くんと付き合ってるから」と噂を流して、牽制してきたことが発端であるのだそうだが。
 件の男子など興味もなく、青峰っちのことも今のところは単なる幼なじみとして見ている桃っちにとっては、なんとも迷惑なことこの上ない事態になっているそうだ。しかも、彼女にとっては親しい友人にも、黒子っちに対する思慕はまだ告げてはいないために、皆が「青峰くんと付き合ってる」という噂をすっかりと信じ込んでしまっているらしい。
 元々、桃っちと青峰っちは驚くほどに仲がいい。だから大いに誤解され、「さつきも恥ずかしがってないで、そろそろ認めなよ」みたいな空気が友人間で流れてしまっているのだそうだ。しかし、ならば本命は黒子っちなのだと告げればいいのにとも思うのだが、そこは桃っち的には避けておきたいのだという。
「だって、変に騒がれたら、テツくんに悪いし…」
 いやいや。黒子っちはそういうことをどんと受け止める、器の大きな男っスよ? とオレは思うのだが、桃っちとしてはひっかかりがあるらしい。だけど、そういう風に好きな相手のことを考えて、戸惑っている桃っちは可愛い。
 恋ってものは人を可愛くさせる効果があるものだと、オレは思う。
「ま、ほとぼり冷めるまで待たないと」
「でも、みんななかなか忘れてくれないんだもん。テツくん誤解しちゃったらどうしよう…」
「あー。それは多分、今更なんで平気っス」
「あーん! ひどい、きーちゃん!」
「いや、ほんと平気っスよ! 黒子っちは器の大きい男前なんで、世間の噂とか気にする人じゃないっス! っていうか、女子のつきあいも大変っスね」
「うん。まあね…」
 オレの言葉に、桃っちは苦笑した。
 もう一つ、桃っちを悩ますのがこの「女子のつきあい」というやつだ。
 桃っちは自分の仲のいいクラスメイトやNBAの選手、好きな歌手のアカウントなどをフォローしているそうなのだが、その中でリプをとばし合うのはやはりリアルに付き合いのある友人相手が中心になってくる。そうなると、こういったタグでの遊びや占い、ツイッター上のお遊びの性格診断を「面白いからやってみて(^^)」と顔文字付きで紹介されてしまうことがあるのだそうだ。
 自分が面白いと思ったものを、友達にやってみてと教える。それはつまりは好意だ。
 そういった友達に向ける好意を無視してしまうと、女の子同士の仲は少々難しいことになってしまう場合がある。なので桃っちは、例え自分に興味がなくとも、血液型占いをしたり、謎の診断とやらに自分の名前を入れてやってみたりとちゃんとお付き合いとやらをこなしているのだそうだが、そんな彼女にこういった引っかけ問題を出してくるのは少々反則ではないかと桃っちの地道な努力を知っているオレとしては思う。
「まあ、無難にアイスとか書いておいたらどうスかね?」
 憤慨する彼女に、オレはごく無難な答えを返した。
 つまり、このタグは携帯電話の文字打ちの予測変換機能を使うことが前提な訳だが、そんなのは打ち込んだ本人でなければ、分からないのだから真実などどうでもいいことだ。
「うん。そうだよね…うん」
 オレの言葉に、桃っちは小さな溜め息を吐いて頷く。
 勿論、桃っちだって、そんなの馬鹿正直に答えなくてもいいことは分かっている。  彼女はただ、「言っちゃいなよ!」とまるで当てこするように、自分の友達がこんな遊びを仕掛けてくるのがつらいのだ。
 ちょっと言われるくらいにならば、「誤解だよ」「そんなことないよ」と答えて笑っていられるけれど、それが何度もしつこく繰り返されて、畳みかけられるのは一種の暴力に近い。
「うん! 気持ち切り替える! 聞いてくれてありがと、きーちゃん!」
「いえいえ。いっそのこと【#くと打って最初に出たのがあなたの結婚相手】か【#てと打って最初に出たのがあなたの結婚相手】ってタグがあればよかったんスけどねー」
「だよね」
 オレの言葉に、桃っちは笑顔を見せた。
「とりあえず、桃井はアイスと答えて、今度31に行こって誘ってみます! 開き直る!」
「そうそう。その意気っスよ。っていうか、まじで桃っちの第一変換って青峰っち?」
「あー。……うん、やっぱそうだね」
 思わず口にしてしまったオレの問いかけに、桃っちは携帯のボタンを押してそれを確かめた。
「仕方ないよ。だって、テツくんに話題振るときにネタになるからやっぱり打ち込むこと多いもん。きーちゃんもそう?」
 桃っちはなにげに、黒子っちにマメにメールをしている。
 部活関連の話題を中心に、不審に思われない程度にだそうだが。この辺り、黒子っちにとにかくアプローチをしようとする桃っちの努力は可愛い。
「いや、オレは多分、違うかな?」
「それもそっか。きーちゃんはマメだけど、そもそも大ちゃんはマメじゃないから、メールなんてしないか」
「そうっスねー」
 オレが笑いながら答えると、桃っちは「そうよね」と頷いて、くるりと身を翻す。 「じゃあ、私、ちょっと教室戻るね! ありがと、きーちゃん」
「はーい」
 ちょっと短めな丈のスカートの裾を風に揺らしながら、桃っちは屋上から去っていく。
 そんな彼女にひらひらと手を振っていたオレは、その背中が見えなくなってから、おもむろに自分の携帯を取り出した。
「【あ】…」
 本当はそこまでしなくていいのだけど、一応はツイッターを開いてみて、オレはその言葉を打ち込んでみる。


【赤司】

 オレの予測変換で一番に出るのは、彼の名前だ。
「やっぱ、そうっスよねー…」
 赤司っちとのそういう会話は、主にメールでしているのだから。
 実際に言葉で色んな約束を取り付けるのはちょっとまずいだろという意識があるから、ちょっとしたことでもオレたちはメールを交わす。
 桃っちの言うとおりに、オレはわりとこういう事にはマメな方だし、赤司っちもほどほどに返信をくれるので、オレたちはそれなりの数のメールをやりとりしている。
お互いとこの関係を大事にしたいから、ちゃんと慎重になるべきところには気を遣っている。
 オレの【あ】の予測変換で、一番に【赤司】と出るのはごく自然なことだ。
 だって、オレと赤司っちは付き合っているのだから。
「赤司#あと打って最初に出たのがあなたの結婚相手」とやってみたら、リア充乙とか返されてもおかしくはない関係なのだ。
(ま、さすがにツイートはまずいっスけど…)
 でも、桃っちが頑張って黒子っちにメールを送っているように、オレもちょっとした恋愛的な雑談を、彼に送るのは悪くないかもしれない。
 だって、恋愛には努力が必要だ。
 好きな相手とずっと繋がっていくには、相手との話題のきっかけを探して、会話を重ねるような小さな積み重ねが重要になっていく。
 その辺りの努力を怠らないのが、オレがちょっと女子的だと青峰っちに気持ち悪がられる点で、桃っちとなんだか女子友っぽく恋バナなんて出来る理由なんだろう。
「よし!」
 オレはツイッターの画面を閉じて、代わりに新規メール作成の画面を開いた。
 タイトルは「#あと打って最初に出たのがあなたの結婚相手」と入れてみた。ちょっと迷惑メールっぽいタイトルかなと思ったが、まあわかりやすいからいいとする。
 そして、本文の初めの一行にはまずは【あ】と打ち込む。その後の変換は、オレの携帯の予測変換機能にお任せすればいい。
 それから桃っちにこんなタグを教わったという経緯と、俺の携帯で一番最初に出たのはこの単語ですと説明を入れれば、話は十分に赤司っちに伝わるはずだ。
「……」
 短いメールを書いて、これを見たら、赤司っちはどう思うんだろうと考える。
 返事はなくてもオレは気にしない。だって、もっと進んだ彼との恋バナは、せっかくだから直接会ってする方が盛り上がるような気がするし。
 だから最後に一行、オレは彼への誘いを書いた。


「今週の土曜って予定空いてるっスか?」

 タグについてはともかく、こっちは確実に返事は貰えるだろう。
 だから、「赤司っちの予定が空いてるといいな」と願いつつ、オレは彼にちょっとしたネタメールを送信した。
 



(2012.8.7 pixiv初出)