気がついたら、黄瀬君が泣いていた。
「……」
目が潤んで、彼の頬を透明の滴が伝っている。黄瀬君は顔の作りが綺麗なので、驚くくらいに泣き顔も美しかった。
でも、いくら綺麗だといっても、隣にいる人に前触れもなく突然泣き出されるのはなかなか心臓に悪い。
「どうかしましたか、黄瀬くん」
ここで声をかけないのも、人としてどうなのだろうか。
見ないふりをする。そっと一人にしてあげる。黙ってハンカチを渡してあげる。等の幾つかの選択肢の中から、彼に対してはこれがいいだろうと思われるものを僕は選び取った。
黄瀬君は僕のことを部内での先輩で、彼の教育係なのだと認めて以来、なかなかに信頼を置いてくれているらしい。だからここは、ちゃんと彼に理由を尋ねてみるのがいいだろう。
主将の下で厳しく統率されたこの帝光中バスケ部においては、部内いじめなどは存在し得るはずもないので、その点の心配がないのはありがたい。だからもしかしたら話は部活のことではなく、友人としての領域になってくるのかもしれないが。
「え? 何スか、黒子っち」
しかし、尋ねかけてみても、黄瀬君はきょとんとした顔で僕を見返してくるだけだった。
「涙が出てますよ。……目に、ゴミでも入りましたか」
彼が本当に不思議そうにしているので、僕はそっとその事象を彼に教えてみた。もしかしたら、黄瀬君は何か感覚が鈍くて、目にゴミが入ったとかどこかに足の小指をぶつけたってことに自分で気付いていないのかもしれないという可能性も考慮して。
「あれ? ほんとだ。なんだろ、これ」
僕がそのことを告げると、黄瀬君はすぐに自分の目元に指を落とし、そこに零れる涙を確認した。
「なんだろう?」と訝しそうにしながら、彼はそのままぼろぼろと泣いている。
彼の涙は全く止まる様子がないので、僕は思わず手にしたタオルを黄瀬君の目元に押しあててやった。
「あ、心配かけてすみません。何でもないっス」
「何でもないって……そんなに泣いているのに」
いらないことを言ってしまったのは、黄瀬君に全く泣きやむ気配がないからだ。
「でも、なんか、何で泣いてんのか自分でも良くわかんなくって……なんスかね、これー?」
不思議そうに、それでも割合と明るい口調でそう言って、黄瀬君はぼろぼろと泣き続けた。
それから、黄瀬君は練習中に度々泣くようになった。
だいたい第一発見者は僕で、彼に泣いていると教えると、流石にまずいと自身で思うのか「ちょっと顔洗ってくるっス」と言って、黄瀬君はすぐに体育館から出て行くようになった。
そんなことを繰り返す内に、理由は分からないけれど、原因が一体なんであるかがなんとなく見えてくるようになった。
「……」
黄瀬君が泣き出す時に、彼と僕のそばに姿が見えるのはただ一人。つまりはその一人がこの事象のキーパーソンだ。
つまりは。
黄瀬君はどうやら、赤司君を見ると泣いている。
「テツヤ、尋ねたいことがあるんだ」
「……」
己に声をかけてきた赤司征十郎の姿を、黒子テツヤは胡乱な眼差しで見やった。
「なんだ?」
「いえ、なんでしょう」
一応は疑問形で返しはするものの、赤司から声がかかった時点でその案件は大体予測できている。
「少し時間を貰えるか」
「ええ。構いませんが」
「来てくれ」
短く告げて、赤司は彼の前で踵を返す。
(これは…)
先導するようにして彼が歩きだした方角から察するに、彼が向かっているのは赤司が半分公認で根城にしている空き教室だろう。
(込み入った話になりそうですね)
覚悟を決めて、黒子はそっと息を吐き、先を歩く主将の背中を追いかけた。
「最近、涼太が急に泣き出す時があるだろう」
「……そうですね」
旧校舎の空き教室は、赤司に半公認で与えられた彼の思考のためのスペースだ。
帝光中バスケ部の主将であり、全国に名を轟かす有能ポイントガードである赤司は、全ての試合において采配を振るう権利を持つ。勿論、部内の指導と方針の確立については顧問とコーチこそが一番に力を持っているが、しかし歴代において彼ほどに意見をすることが認められた主将もいなかったそうだ。
ゲームメイクから部内の人事にすら影響力を持つ彼が、練習から離れ、計画を練る際に使うようにと与えられたのがこの部屋だ。
この特別教室は、該当の教科主任を務めるバスケ部の顧問が管理している部屋だが、学業成績も校内一位であり、信頼の高い赤司には特例として鍵が渡されていた。
副主将である緑間とのミーティング、時にレギュラー陣での打ち合わせや指導にも使われ、黒子も一軍に抜擢されたばかりの頃には、赤司からの指導をこの部屋で受けたことがある。
しかし、一人でここに呼び出されたのは、その時以来のことだ。
「何か理由を言っていたか?」
「いえ。何も」
「本当に?」
赤司が念を押してくるので、黒子は少々迷った末に、胸に抱いていたその推測を口にした。
「ええ。でも……僕が分かる限り、黄瀬君は赤司君を見かけると泣いているようです」
「そうか」
その一言に、赤司はあからさまにショックを受けた顔をする。
これは正直、珍しい。
黒子が続けて彼に尋ねかけてしまったのは、赤司の珍しい表情に、彼の存在がいつもよりも身近に感じられたからだった。
「黄瀬君と何か個人的なつきあいでも?」
何か個別に注意をしたら揉めたとか、言い過ぎてしまったとか、そんな過失があったのではと問いかけたつもりだった。
「……実は、やる度に泣くんだ、涼太が」
しかし、赤司からはどうにも予想外の言葉が返る。
「……何を」
「初めてやった時に、気づいたら泣いていて。どうしたらいいか分からなくて、そのままやってしまったら、その後もやる度に泣いてしまうんだ」
「……」
主語をあえて抜いてあるらしいその発言に、黒子は通常の思考を止めて、当てはまるであるだろう事柄を考えた。
(やった……やった…)
まずは口語として「やった」という表現は「失敗した」という意で使われることもあるが、この場合は赤司が黄瀬と共に何か行ってるのだと考えられるので、それは除外だ。
やった。二人でやること。それは多分、1on1ではない。
何故なら黄瀬はほぼ毎日青峰と共に1on1をしているが、その折に泣いている姿など見たことがない。別に青峰を見たからとて泣かない。
読書を多くしていると、文脈や行間から事象を読みとる能力が鍛えられる。
長年の趣味によって培われた能力を駆使して、黒子はその答えを慎重に導き出した。
「つまり、赤司君と黄瀬君はセックスをする関係で、黄瀬君を初めてセックスした時に泣かせて以来、彼はずっとその度に泣いてしまっているということですか」
「……そういうことだ」
黒子の確認に、赤司は重々しく頷いた。
「そんなに重々しく言われましても」
そんな彼の返答に内心戸惑いつつ、黒子は吐息を零す。
考えていた以上に、同級生の性生活がかなり進んでいたことは衝撃だった。
しかし感情はまだ子供でも、身体はすでに大人になりかけている年代であるからして、彼らがそういう行為に耽っていても確かにおかしくはない。特に黄瀬など、すでに身長も180センチは超えているし、外見はほぼ大人だ。身体が子供のままでもセックスは出来るだろうし、外見的には大人に見える彼ならば、身体の方は特に問題はないだろう。
(多分、これは赤司君が能動的な方……ですね)
赤司の発言と反応からアタリをつけて、黒子は一人頷いた。
彼らの外見を考えると、どうも黄瀬の方を彼氏的立場に置きたくはなるが、性格を考えればその上下問題には納得がいく。
「やる度に、涼太は気付くと泣いてるんだ。はじめは何か感極まりでもしたのかと思っていたんだが、それが毎回になってくると流石に無視するわけにも行かなくなって」
赤司は淡々とその事象についての説明を口にした。
「というか、それまで無視してやってたんですか」
「気のせいとか、偶然じゃないかと思ってたんだ……」
「思ってるだけで、止めずにやってたわけですよね」
「……ああ。途中で止められないだろうが」
「ですから、そんな重々しく言われましても」
「それがこのところはどうも、時々学校でも僕を見ると泣くようになってな。でも、それも僕と二人きりの時だけだと思っていたら、おまえがいるときだけは泣くんだ」
「それはきっと、僕の影が薄いからですね」
唐突に赤司から相談を持ちかけられた理由を理解して、黒子はすかさず思い当たる事柄を彼に返した。
可能性は二つあるが、確率が高いのはこちらの方だ。
自分の存在が、在るものとして、黄瀬に認識されていない。しかしこの事を自分で口にするのは、なかなかむなしいものがある。
「そうか……おまえだから特別というわけではないか」
「いえ。僕も彼の教育係ですから、それなりに黄瀬君から信頼されている自覚はありますが」
赤司の側はそれなりに真っ当な可能性を口にしたので、黒子は彼に懐かれているという言葉を穏当な表現に置き換えて、それを認めた。
黄瀬が何故か黒子の前ならば泣いてしまう可能性としては、一応どちらもありえるものだ。
「なら、涼太はどうして泣くんだと思う」
「それは、黄瀬君はセックスが怖いんじゃないですか?」
問われたその事に、黒子は自分の意見をズバリと切り返した。
「……」
「初めての時に気づいたら泣いてたんでしょう。痛いか怖いかして泣いてしまったのに、赤司君が無理に最後までしてしまったから、怖さが解消出来ずに次も泣いて、なのに毎回無視してやるから、毎回泣いてしまうようになったんじゃないですか」
「でも、僕も尋ねたぞ。どうして泣くんだって。そうしたら分からないって言うから、だったら続けるしかないじゃないか」
「いえ、それを僕に言われましても。というか、別に続ける理由はないと思うんですが」
「テツヤ! おまえ、途中で止められるのか!」
「そういう下半身の事情の話は、青峰君相手にした方が盛り上がると思いますよ」
グラビアを見るのが趣味、巨乳好きと公言する己の相棒の名をあげて、黒子は淡々と彼に答える。
「大輝に話したって、相談にならないだろう」
「まあ、そうですね……」
確かに人となりを考える限り、彼相手では相談にはならないだろう。更には意外に繊細な青峰は、赤司が無理矢理にセックスをしている、黄瀬が泣いてしまう等と言ったこの説明を聞けば、胸を悪くするか、それは性犯罪じみた行いではないかと曲がった誤解をしかねない。
「一応確認ですが、セックスは合意ですよね」
「当たり前だろう。ずっと付き合ってるし、涼太は僕の事が好きだって言ってる。やったのも自然な流れだ」
念のためにと黒子が尋ねかけたその問いには、赤司は心外だと言いたげに答えた。
「それはよかったですね。というか、もう一つ確認ですけど、セックスの時に黄瀬君はいつから泣いてるんですか。はじめから泣いてるわけじゃないでしょう?」
「入れると」
「……それ、痛いんじゃないんですか」
「でも、最後まで入れても文句は言わないぞ」
「怖いから言えないんじゃないですか」
「確かに……少し怖がる素振りはあるけど、ちゃんと宥めて納得させてる」
「後学までに。赤司君はなんて言って、黄瀬君を宥めてるんですか」
「先端だけだから」
「は?」
「入れるのは先端だけだから」
「……」
黒子は黙って、局所の形状についてを考えた。
「本当に入れるのは先端だけなんですか?」
「いや、結局全部……」
「理解はしました。つまり、先端だけだからって言って、誤魔化して全部入れてしまっているわけですよね。……でも、黄瀬君も毎回それで騙されてるんですか?」
それが毎回のことであるならば、中々に黄瀬の人格が心配になってくる。
なので黒子は思わず口に出してそれを問いかけた。ここまで赤裸々に話が進んでしまったら、下手に遠慮するよりも、いっそのことはっきりと聞いてしまった方が気分もいい。
「騙すつもりはない! 初めは本当に先端だけって思ってるんだ。涼太もそれならいいと言うし。でも、こう、先端だけでも入れさせてくれるなら、最後までって欲が出るものじゃないか」
「でもそれ、結局騙してるって事ですよね」
「……ああ」
「その間に、黄瀬君は泣いてないんですか?」
「泣いてる」
「泣いてるのに、全部入れるんですか」
「……」
「だから黄瀬君、セックスが怖いんじゃないですか?」
「……」
「でも、怖いとその場で言い出せなくて、反射で赤司君を見るとセックス中の事を思い出して、怖くて泣くようになったんじゃないですか」
「畳みかけるように言うな」
「僕に相談してきたのは赤司君じゃないですか」
「それは、おまえになら涼太が心を開いているんじゃないかと思って。仲はいいんだろう?」
「それなら紫原君も同じクラスで仲がいいと思いますし、青峰君とは毎日1on1をしてますし、僕が飛び抜けてというわけではないかと。確かに、会話をすることは多いですが、流石に赤司君とセックスしていることまでは聞いてません」
「……」
黒子の返しに、赤司は押し黙った。
彼のそんな姿は滅多に見られるものではない。中々に面白いと心の中で思いながら、黒子はその姿を黙って観察した。
(まあ実際、そんなに面白がるわけにもいかないですね……)
赤司の姿を見つつ、黒子は黄瀬の泣き顔を思い出した。
あれだけ泣かれると、ただ隣にいるだけなのに何だかばつも悪いし、理由が分かれば黄瀬がどうにもかわいそうにも思えてくる。
当分の間は、少し彼に優しくしてやろう。
そんな気持ちを心に芽生えさせつつ、黒子は再び口を開いた。
「じゃあ、真面目に答えてみますが、普通に考えて、無理なセックスは止めてあげた方がいいんじゃないでしょうか」
「な! どうして無理だと決めつける!」
「……分かりました。では、黄瀬君がセックスを怖がっているのかもしれないと仮定して、先端だけとか言う前に、怖いならやらなくてもいい、黄瀬君の好きなようにすると伝えてあげたらどうでしょう」
「それで、涼太にやりたくないと言われたら」
「もちろん我慢するんです。黄瀬君が泣かなくなるまで」
「いつまでかかるか分からないだろうが」
「だって、それでも待たないと、黄瀬君はいつまでも泣き続けるんじゃないですか」
「それは……困る」
黒子の指摘に、赤司は初めて本気で困った様子を見せた。
「涼太に泣かれると、どうしたらいいか分からない……」
「はあ」
困惑し切ったその声色に、黒子は小さく相槌を打つ。
(ああ……、違うか)
彼に応えながら、不意にそれが別に初めてではないことに黒子は気がついた。
赤司は多分、ずっと困っているのだ。
黄瀬に泣かれることに、黄瀬を泣かせてしまうことに。
泣きだした黄瀬と共に居る時に、遠目に見かけた赤司は、考えてみればいつもこんな風などこか頼りない表情を浮かべていたかもしれない。
「赤司君、もう一つ質問です」
「なんだ?」
「赤司君が、黄瀬君と付き合ってるのはどうしてですか」
「涼太は可愛いだろう」
新たな問いに、赤司は今更何の事だと言いたげに答えを返してくる。
「じゃあ、黄瀬君とセックスをしたいのは?」
「涼太が可愛いからだ。……なんだ、テツヤ」
「なるほど、少し安心しました。じゃあ、僕がさっきアドバイスしたことを実行してみてください。僕も少し黄瀬君の様子を見てみます」
これ以上のことは、自分の理解の範囲も、答えられる範囲も超えてしまう。そう判断して、黒子は早々に彼との会話を切り上げた。
「じゃあ、僕は練習に戻ります」
「ああ、すまないな、テツヤ」
「いいえ」
赤司を一人残し、黒子は素早く特別教室を後にした。
(思いがけない相談でした……)
かつ恐ろしいカミングアウトだったが、黄瀬が突然泣きだすという恐怖の事象に対してそれなりの心構えが出来るようになったのはありがたい。
あとは当分、少し黄瀬に優しくしてやろうと思いつつ、黒子は体育館へ戻る道筋を辿った。
「なんか黒子っち、最近優しいっスね」
黄瀬がそんなことを言いだしたのは、黒子が赤司の相談を受けてから三日ほど過ぎてからだ。
「優しい? ですか?」
「あ、えーと、いつもが優しくないって訳じゃなくて、なんかここ二、三日、いつもより色々付き合ってくれるっていうか」
「そうですか?」
慌てて黄瀬が弁明するのに、黒子は軽く首を傾げる。
さほど態度を変えたつもりはないのだが、ここまでハッキリ言われるのはどうなのだろうか。
そんな疑問が胸に浮き出たが、しかし当分は出来る限りの譲歩をしようとは思っていた。
「黒子っちー!」
「黒子っち!」
「黒子っち?」
「…………」
「あれ? 黒子っち?」
「……」
「どこ行っちゃったんスか、黒子っちー!」
黄瀬のエスカレートする懐きぶりに、黒子がそっとミスディレクションを発動するようになったのは、それから更に三日後の事だった。
「涼太、話がある」
意を決して、赤司がそれを口にしたのは、黄瀬がベッドの上で衣服を全て脱いでからだ。
「どうしたんスか? 赤司っち」
いつものように屈託なく制服を脱いだ黄瀬は、ネクタイすら緩めようとしない赤司の姿に不思議そうに目を向ける。
(くそ……テツヤめ……)
自分にお預けを食らわすチームメイトに恨み言を吐きつつ、赤司は改めて黄瀬の身体を見遣った。
バスケのユニフォームはなかなかに露出も多いし、ロッカールームで着替えを共にするのだから、ほぼ半裸に近い状態は日常的に目にしてはいる。
けれど、こうしてベッドの上で彼の肌を見るのは全く別だ。
均整のとれた身体は賞賛に値するほど美しく、いつものように触れて、抱いてしまいたいという欲は腹の底から湧き出てくる。
その情欲を強い意志で抑え込んで、赤司は改めて彼に申し出た。
「確認したい事があるんだ、涼太」
黄瀬があっさりと服を脱いでいったのは、ここが彼の自宅であるからだ。黄瀬の両親は留守が多いので、赤司は問題視されない頻度で彼の家に入り浸っていた。はじめのうちは勉強を教えるという名目で上がり込んでいたし、実際に教えてもいるので、黄瀬の両親からの信頼は在る。なので彼と関係を持って以来、セックスはいつも黄瀬の部屋でしていた。
だからこそ、黄瀬がセックスの最中にボロボロと泣いてしまっても、帰り道で泣き腫らした顔を晒す事になったりはしていないのが、流石にそんなことは今日を限りに打ち止めにしたい。
「なんスか?」
「あのな。僕とセックスするのは、いやか?」
「どうして?」
赤司の問いに、黄瀬はきょとんとした顔をする。
「……いつも、泣くだろう」
赤司はひどく重い気持ちで口を開いた。
分かってはいたが、自分が黄瀬を泣かせているという意識をやはり持ちたくはなかったのだ。
(なんで泣くんだ、おまえは)
可愛いと思っている。同時に、やりたいとも思っている。
泣かせたくはない。だけどこの衝動も止めようがない。
そして、もしも泣かせているのが、本当は黄瀬がセックスが嫌だからならば、本当はそれをする自分もすでに彼から嫌われてしまっているのではないか。ただ、黄瀬もその事が上手く認識出来なくて、流されるままに関係を続けているだけではないか。
そんなことを考えると、やはり全てに目を瞑り、見ないフリでいつものように彼を抱いてしまいたくなる。
「泣く?」
「最中に、いつも……」
「あー。気付いてたんスね、赤司っち。みっともないから、言わないでいてくれるのかと思ってたんスけど」
赤司の指摘に、黄瀬は困ったような表情を浮かべた。
「なんか、よく分かんないけど、涙が出ちゃって。でも、オレ、泣くと顔が変になるから、あんま見ないで欲しいっス」
「涼太! 正直に言え。僕とセックスするのは嫌か? 泣くのはもしかしたら、するのが怖いんじゃないのか?」
「え?」
「もしもおまえが怖いなら、無理にしなくていい。おまえの好きなようにする。これからも、ずっとだ」
強い声で、赤司は己の決意を口にする。
「……だから赤司っち、今日は脱がないんすか?」
「ああ」
「どうだ、涼太」
問う声に、黄瀬は惑いを見せた。
「えーと……本当になんで涙が出るのか、オレも自分でイマイチ分かってないんだけど、でもオレ、赤司っちとしたいっス」
「本当にいいのか?」
返った言葉に、赤司は思わず彼の傍らへとずいと膝を詰めた。
「なんかオレ、赤司っちと二人きりでいると、すごい意識して、サカるっていうか、身体が熱くなってくるんスよ。いつもみたいにキスしてると、もうぶっちゃけ勃ってくるっぽいっていうか、身体の方がおかしい感じで、赤司っちがやっぱ好きで仕方ないみたいな……今もそうスよ。やりたいっス。赤司っちは、オレとすんのイヤっスか?」
「そんなわけないだろう! やりたい!」
「よかった」
赤司の返答に黄瀬は嬉しそうに笑い、自ら彼に顔を近づけて、チュッと音を立ててキスをした。
「じゃあ、しよ。赤司っち」
「ああ!」
彼の誘いに答えて、赤司は慌ててブレザーを脱ぎ捨て、ネクタイを緩める。
「涼太……」
赤司が隣に身を置くと、黄瀬も彼のシャツのボタンを外すのを手伝いはじめた。
「あ、でも」
ボタンを外す為に目を伏せた黄瀬が、赤司の胸元でふと呟きを零す。
「?」
「オレ、あんまり痛いのはちょっと苦手っス」
「……分かった、気をつける」
「だから、もう少し、慣らしてもらえると楽なのかなって」
「……分かった。ちゃんと慣らす」
「で、いきなり全部つっこまれると、驚くっていうか……痛い」
「わ、悪かった! だから、泣くな、涼太!」
不意に黄瀬の声に震えが混じりはじめた事に気付き、赤司は慌てて詫びの言葉を口にした。
(こういうことか……!)
そこには意外に、不満はあった。
身体に刻まれる感覚は、説明として伝えるのは中々難しいという事だろう。
「大事にするし、ちゃんと慣らすし、痛くなくする! 全部ちゃんと直す。だからさせてくれ」
提示された改善点を胸に刻み込み、彼の前で赤司は深く頭を下げて、男らしく頼み込んだ。
「で、なんですか、赤司君」
黒子が赤司の間とでも呼びたいその部屋に来るようにと指示されたのは、彼の相談を受けてから約二週間後のことだった。
「おまえに礼を言っておこうかと思ってな、テツヤ」
「ああ、黄瀬君のことですか」
赤司の言葉に、黒子は頷く。
礼を言うのにわざわざ人を呼びだすことにも、もはや気にならない程度に黒子も赤司に慣れた。
「そうだ」
「……泣かなくなりましたか、彼は」
「すっかりな」
「原因はやっぱり、セックスが怖かったんですか?」
「それもちゃんと克服した。僕のやり方が少し性急すぎたようだ」
「そうですか。よかったですね」
誇らしげに言う赤司を見遣り、黒子は彼の言に頷いた。
礼を言ってくるのだから、きっと自分の助言が役立ったのだろうという程度に推測は立つ。しかし、内容的には中々不名誉だとも思える事柄だ。隠して濁してしまってもおかしくはないのだが、しかし黄瀬がセックスを怖がっていたという事実と自分の非をちゃんと認める辺りは赤司はなかなかに堂々としている。
「ああ、本当に……」
「なんですか?」
突然、赤司が言葉を溜めるので、黒子はついつい彼につい尋ねかけた。
「涼太はかわいい」
「そうですか。では、僕はこれで」
唐突に始まった惚気に、表情を固まらせ、黒子は彼に背を向ける。
いい加減にもう、ついていけない。
「おい、テツヤ、話を聞いていかないのか」
「充分ですから。練習に戻ります」
不思議そうにする赤司を置いて、黒子はさっさと部屋から出ていった。
「黒子っちー、どうして俺の頭撫でるんスか?」
「いえ。……よかったですね」
「?」
(2012.8.5 pixiv初出)