「赤司っち、セックスしよ」
黄瀬が声をかけると、赤司は「今、おまえは一体何を言った」と顔に書いて、その姿を振り返った。
そのまま彼は、無言で黄瀬の顔をじっと見つめる。
「……」
(あ、あ、やっちゃった)
続く沈黙が恐ろしくて、黄瀬は慌てて己の言葉を誤魔化そうと引きつった笑いを浮かべた。
冗談だと笑い飛ばせばいいか。というか、冗談だと明るく笑い飛ばすか、わざとらしい媚を作って冗談だと首を傾げてみる程度しかその手段は思いつかない。
「なーんて……」
「ああ。しようか」
しかし、黄瀬がそのミッションを決行しようとしたのとほぼ同時に、赤司は黄瀬の肩を押し、その背をベッドの上に転がした。
「ちょ! 赤司っち! 何すんスか!」
「だから、セックスするんだろ」
黄瀬が非難の声を上げるのも気にせずに、赤司は彼の身体にのしかかり、それを抑え込む。
「だって、……冗談、さっきのは冗談っス! すんませんっス!」
そんな赤司の身体の下から何とか逃げだそうと、黄瀬は慌てて身を捩らせた。
「涼太。僕たちは付き合ってるってことで、間違いないんだよな」
だが、赤司は黄瀬よりも二回りは小柄であるが、彼の身体の抑え込み方は的確である。
「勿論っス!」
「だったら、さっきのおまえの発言を、僕は冗談じゃなく、リクエストとして受理するってことも当然理解出来るだろ?」
互いの身体の合間に何とか空間を作ろうとして、黄瀬は覆いかぶさってくる赤司の肩に掌を着いた。けれどそんな動きを逆手に取って、赤司はその手首を掴み黄瀬の親指を柔く食む。
「ひゃっ!」
指の根本付近までを彼の口に含まれて、慣れぬ感触に黄瀬は思わず声を上げた。
「や、やめ……赤司っち」
「どうして?」
「明日、オレたち試合っスよ。しちゃって、身体、変になったら困るっしょ!」
「監督に言われただろう。おまえは明日はベンチだ。どうなろうが問題ない」
「でもっ!」
「涼太」
慌てて黄瀬が反論の言葉を紡ごうとするのに、赤司は何処か冷えた声でその名を呼んだ。
「……」
威圧的なその響きに何も言えなくなって、黄瀬はぎゅっと目を瞑る。
(どうしよう……。赤司っち、怒ってる)
赤司との付き合いはもう何年か続いているが、まだ身体は繋いだことはない。
キスや、身体を触りあったことならあるけれど、それも回数は多くなく、一つのベッドに彼と共に入ったことはまだなかった。
だから正直、そろそろそうなってもいいのではと、黄瀬もぼんやりとは思っていた。
けれど所謂、初めての経験に当たる行為が、赤司を怒らせた末のお仕置きめいたものになるのは流石に避けたい。
(オレ、ふざけすぎた? どうしよう)
これから自分は赤司に何をされてしまうのだろうか。
微かな怯えを抱きながら黄瀬が身を固くしていると、その上から呆れた様子で声が落ちる。
「……馬鹿だな。はじめてなのに、わざわざこんなところでするはずがないだろう。こんな壁の薄そうなホテル、隣に声が丸聞こえだ。それに準備もない。試合をしに来たってのに、おまえの身体を慣らしてやって僕が疲れるようじゃ明日に響くだろう」
「あ、赤司っち」
黄瀬が恐る恐る目を開くと、赤司はうんざりとした表情を浮かべて、つけっ放しになっている部屋置きのテレビの画面を睨み付けていた。
「涼太。あれが、ネタだろう」
そう言って、彼はテレビの画面を指さす。今はちょうど、一昔前に流行ったドラマがリバイバルで放映されていた。
「そうっス……」
彼の言う通りで、黄瀬が先程発した一言は、ドラマに出てくるヒロインの印象的な台詞の焼き直しである。
試合の為に、この地に遠征にやって来たというのに、黄瀬は今日の時点で明日の試合には出さないと監督から引導を渡されていた。それは少々風邪気味であることと、今日の練習中に滅多に無くミスが目立ったことが理由である。自己管理が悪いと叱責を受け、正直、腐りきった。
なので同室の赤司が風呂に入っている間に、一人苛々としつつビールを一缶空けた。そして何となくつけていたテレビから聞こえた一言を耳にして、どうしようもない悪戯を思いついたのだ。
「何か、僕に言うことは?」
「大事な試合前に変な冗談言って、すんませんっした」
「ああ」
黄瀬からの謝罪を受けて、仕方ないと言いたげに息を吐き、赤司は彼の身体の上から退いた。
「まあ。いい。今日は風邪気味なんだから、早く寝ろ」
そう言って赤司は、幾分か着乱れた黄瀬の浴衣の胸元を優しい手付きで直してくれる。
「赤司っち、怒ってないんスか?」
黄瀬が思わず尋ねたのは、自分が悪いのだという自覚があるからだ。
実際、黄瀬が先に風呂を使わせてもらったのも、風邪気味だから早めに休んだ方がいいという赤司の配慮からだ。そんな彼の心遣いを無視して、酒など口にしていたのだから、本当はもっと厳しい叱責を受けても仕方がない。
「怒ってるよ。だけど、おまえが腐る気持ちもわかるし、ここで怒って、一晩嫌な気持ちで過ごすのも嫌だろう? ほら、ちゃんと布団に入れ」
そんな黄瀬の問いかけに苦笑を零しながら、赤司は彼をベッドの中に追い立てた。
「はい……」
その言葉に従って、黄瀬は改めて寝具の中に身を収め、枕に頭を預けた。
「涼太」
黄瀬のベッドの上掛けを綺麗に調えてやり、ポンと軽くその上を叩きながら、赤司は彼の名を呼びかける。
「はい?」
「誘う気なら、もう少し上手くやれ」
「あ、あの、赤司っち?」
「したいんだろう? ちゃんと僕をその気にさせたら、してやるよ」
囁かれた言葉に黄瀬が動揺を見せると、彼はからかうような笑いを口元に浮かべる。
「……」
彼の言葉に、己の頬に熱が上るのが感じつつ、黄瀬は固く唇を噛んだ。
(……なんか、悔しい)
正直、赤司の言う通りではある。
彼とそうなりたいと思う気持ちが少なからずあるからこそ、口にした冗談だ。まったくその気がなければ、言えたものではない。
自覚はある。けれど彼に完全に見透かされきっているのには、どうにも悔しさがあった。
「じゃあ、おやすみ」
「……赤司っち」
赤司が己のベッドの傍らから離れていこうとするのに、黄瀬は布団の中から腕を逃し、彼の手を捕まえた。
「何、涼太?」
彼が再び視線を向けてくるのに、黄瀬は微かに目を細め、己の唇をペロリと小さく舌で舐めあげる。
「赤司っち。明日の試合に勝って、帰ったら……セックスしよ?」
鼓動が跳ねるのを押し隠して、出来得る限りの媚と甘さを声に潜ませる。
「!」
黄瀬を見返す赤司の目には、驚きの色が滲んでいた。
(やった!)
そんな彼の表情を窺いつつ、黄瀬が頬を緩ますと、赤司は不意にくつくつと笑いだす。
「あ、あの?」
予想外の反応に黄瀬が戸惑いを浮かべると、赤司は目の端に浮いた涙を指先で拭って、彼の顔を覗き込んだ。
「上出来だな、涼太。……帰ったら、しよう」
合格だ。
そう言って、赤司は黄瀬の唇を素早く掠め取った。
(2012.7.16 pixiv初出)